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日本の體育史

 わが國の上古は、名実共に実際に國民皆兵であって、武術の練習が中心となって、

狩猟歌舞等によって尚武の気風を涵養し、自然に健康の増進も得られたのである。

競技も景行天皇の御代に始まる相撲、用明天皇の御代に始まる蹴鞠があり、

破魔弓、独楽、竹馬、紙凧の遊戯も古くから行われていた。

女子も弓矢や薙刀の術を学んだ。


 
しかるに國民皆兵的武道主義は、仏教の伝来後一時乱れてしまった。

天武天皇の御代に「莫食牛馬猿鶏、若有犯罪之」との詔出で狩猟も衰へ、

身体の発育にも影響したと思われる。

更に支那文化の伝来は人心を自然文弱に陥れ、平安朝時代、藤原時代

に到っては、華美淫逸を事とし、人心は惰弱に流れた。

しかし乍ら地方に於いては武門の発生を促し日本の武士道の流れは、源平時代、鎌倉時代に、

到って漸次発達して来たのである。

而して日本の體育は、益々武道中心としてのみ保持されたのである。



 遊戯も、流鏑馬、犬追物、笠懸、要馬術、剣術、槍術、水泳、巻狩り、馬追い等で、全く

武術即ち体育即ち遊戯であった。



 戦国時代には、護身の必要上、商人に至る迄武術を習い常に帯刀する有様であった。


 
徳川時代に於いても各藩共に武術を尊び、武技を奨めたのは勿論である。

また一般平民も武技を学ぶものが多かった。・・・

故に日本の體育史は、結局武術史であって、武術のほかには、

只子供の遊戯位のものしか無く、西洋流の体操式のものは全然なかった。

 
 只武術の他に、宗教家、儒者、医家等によって、調息法、呼吸法の如きものが、

一種の健康法として提唱された事と、禅が間接に、心身の錬磨に役立った事は注意を要する。

しかし此とても最も密接に関係があったのは、武士であった。

 
 幕末に於いて、諸藩が競って西洋の兵制を採用する際に、始めて西洋式体操が同時に

採用されたのである。(それは柔軟体操の一部であった。)


 明治になってから、吾國の體育には二つの大変革があった。

一つは、古来武士階級に獨占された武術を、國民皆兵の立場から一般大衆のものに

なす運動と、西洋体操及びスポーツの採用である。

以上、参考:肥田春充・・・”日本の体育史を通じて国民体育の方法を規定す”を参考に。



上古の昔ももちろん、現代にも、数人いますが、化け物のような、武術家の方たちが、

日本には、本当に沢山いますよね。どういう訳なのでしょうか?



塩田剛三
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テーマ : 日本を正常な国に戻したい - ジャンル : 政治・経済