母の死
母は乳がんより肺に転移(所謂)し、爾来数年間、懸命の闘病(放射線、ホルモン剤、抗癌材)をしてきました。 にもかかわらず明けて6日の午後7時38分に帰らぬ人となってしまいました。
母のその瘠せた骨は、悪戦健闘(ホルモン治療で太らされたり抗がん剤で瘠せさせられたり)に枯れ尽きてしまいました。おしゃれだった母から髪を奪い、終いにはおしゃべりだった母から声まで奪っていきました。
神々さまどうか1日も早くこの世から悪魔の意識エネルギーが駆逐されますよう
12月の25日にガン難病サポート協会の坂井さんの下に行きアルカリ還元水とタヒボ茶を購入し帰り道で足が痺れてふらふらの母に腕を掴まれ、家に帰ったのが昨日の事の様に思い出されます。もっと沢山話をしておけばよかった。もっと優しく接してあげればよかった。もっと強引に抗がん剤を止めさせればよかった。瘠せる前に還元陶板浴に己が連れていけばよかった。・・・子育てにかまけて・・・私も早くお母さんの元に逝きたいです。そして沢山お話がしたい・・・
魯鈍愚劣なる私は、未だ1日の安養すら母の膝下に致すことが出来ませんでした。・・・親不孝
思い至ればそぞろに涙の湧き来るのを止める事が出来ません。
しかし家族に見守られての最後は、苦しさから解き放たれ安らかで美しい顔をしていました。自賛することをお許しください。眼は精神をあらわすといいます。母は6日の その最期迄とてもきれいな眼をしていました。父を一人残しての旅立ちは残念だったとは思います。が生まれる前と書いて生前。母は本当の命をスタートなされたと、そう信じる事にいたしました。
ショウ拝
今思うこと
・・1口 2かか 3子(し) 4親(しん) 5親戚・・・(言い訳?)
・・斯くすれば斯なるものとしりながら已むに已まれぬやまとだましい
・・自分はマザコン
・・皆さまにおかれましては普段より敷居をまたいだら最後、ご家族にいつも笑顔
で別れますよう御祈念申し上げます(それでも悔やみますよね、泣)
母のその瘠せた骨は、悪戦健闘(ホルモン治療で太らされたり抗がん剤で瘠せさせられたり)に枯れ尽きてしまいました。おしゃれだった母から髪を奪い、終いにはおしゃべりだった母から声まで奪っていきました。
神々さまどうか1日も早くこの世から悪魔の意識エネルギーが駆逐されますよう
12月の25日にガン難病サポート協会の坂井さんの下に行きアルカリ還元水とタヒボ茶を購入し帰り道で足が痺れてふらふらの母に腕を掴まれ、家に帰ったのが昨日の事の様に思い出されます。もっと沢山話をしておけばよかった。もっと優しく接してあげればよかった。もっと強引に抗がん剤を止めさせればよかった。瘠せる前に還元陶板浴に己が連れていけばよかった。・・・子育てにかまけて・・・私も早くお母さんの元に逝きたいです。そして沢山お話がしたい・・・
魯鈍愚劣なる私は、未だ1日の安養すら母の膝下に致すことが出来ませんでした。・・・親不孝
思い至ればそぞろに涙の湧き来るのを止める事が出来ません。
しかし家族に見守られての最後は、苦しさから解き放たれ安らかで美しい顔をしていました。自賛することをお許しください。眼は精神をあらわすといいます。母は6日の その最期迄とてもきれいな眼をしていました。父を一人残しての旅立ちは残念だったとは思います。が生まれる前と書いて生前。母は本当の命をスタートなされたと、そう信じる事にいたしました。
ショウ拝
今思うこと
・・1口 2かか 3子(し) 4親(しん) 5親戚・・・(言い訳?)
・・斯くすれば斯なるものとしりながら已むに已まれぬやまとだましい
・・自分はマザコン
・・皆さまにおかれましては普段より敷居をまたいだら最後、ご家族にいつも笑顔
で別れますよう御祈念申し上げます(それでも悔やみますよね、泣)
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コメント
No title
Re: No title
こんにちは、うさぎ屋さま はじめまして。
母は、1月の9日で69歳になるところでした。
未だ自分が小さい時からの事を振り返り、思い出しては悔やみ 涙しております。
母は強いと勝手な思い込みから、まだまだこれから沢山触れ合うぞと・・アレもしてこれもしてと、思っていた
矢先の突然の他界でした(泣)亡くなる日、普通にお見舞いに行き主治医によばれて、(色々努力したのですが、この2~3日が山です)宣告でした。ほんの前の晩には、”体を休めて(風邪をやっつけて)はやく退院しようね” と笑顔で別れたのに・・・
今生の務め 責任等を果たして、一刻も早く母に会いに行きたいものですね。
うさぎ屋さまのお心遣い 心より感謝申し上げます。
有難うございます。
ショウ拝
母は、1月の9日で69歳になるところでした。
未だ自分が小さい時からの事を振り返り、思い出しては悔やみ 涙しております。
母は強いと勝手な思い込みから、まだまだこれから沢山触れ合うぞと・・アレもしてこれもしてと、思っていた
矢先の突然の他界でした(泣)亡くなる日、普通にお見舞いに行き主治医によばれて、(色々努力したのですが、この2~3日が山です)宣告でした。ほんの前の晩には、”体を休めて(風邪をやっつけて)はやく退院しようね” と笑顔で別れたのに・・・
今生の務め 責任等を果たして、一刻も早く母に会いに行きたいものですね。
うさぎ屋さまのお心遣い 心より感謝申し上げます。
有難うございます。
ショウ拝
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お母様はおいくつでいらっしゃいましたか。これ以上の悲しみはありません。心よりお悔やみ申し上げます。
我が母も11年前に胃がんで亡くなりました。臨終のとき、私は病院の屋上に駆け上がり、空を見上げました。なぜかそこにいるような気がしたのです。以来、空を見上げることが多くなりました。
葬儀のときも私は泣いていました。隣に座っている弟から何度もたしなめられましたが・・・・。「死ぬ」ということは「お袋に会える」という意味になってしまいました。
何年たっても母を想えば目頭が熱くなります。
暫くは何かと忙しく、大変でしょうが、ご自身の御身体もご自愛ください。